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公開日 2026年5月

著者 潘 秀曦 博士

南海トラフを対象とした集落孤立リスク:Contextual Agentic Vision で構築

南海トラフを対象とした集落孤立リスク:Contextual Agentic Vision で構築

南海トラフ巨大地震シナリオを対象に、集落単位の孤立リスクを公開データのみで一気通貫に算出した研究ノート。2024年能登半島地震を題材とする遡及分析を、既知の事象に対して既知の答えをパイプラインが再現できるかを確かめる信頼性チェックとして用いている。


南海トラフ巨大地震は、わが国の防災行政がもっとも明確に重点を置いて備えてきた事象の一つである。内閣府のシナリオは、数百キロメートルに及ぶ道路網が数週間にわたって寸断される事態を想定しており、都道府県の防災担当部局にとっての実務上の問いは、単一の数値ではなく順序付きのリストの形を取る。すなわち、どの集落が最初に孤立するのか、どのボトルネックを通じて孤立するのか、そして発災前にどの優先度で対策を講じるべきか、である。既存の都道府県調査は集落粒度で第一の問いに答えているが、その多くは平成25年度の任意調査に基づくなど、ほぼ静的な情報にとどまる。一方、J-SHIS、土砂災害警戒区域、国土地理院DEMといった現代のハザードデータは、動的かつ更新管理されているが、メッシュ単位での提供にとどまる。本研究はその両者のあいだに位置づけられる。紀伊地域および高知地域の167集落に対し、根拠を辿れる集落単位のランキングを与え、答えが公開されている直近の事象で検証した。

第一の成果物は順序付きのリストである。対象範囲167集落(紀伊地域:三重、奈良、和歌山の54集落、および高知+徳島の一部を含む113集落)に対し、本パイプラインは「高」階層に2集落、「中」階層に41集落、「低」階層に121集落、「最低」階層に3集落を出力した。「中」階層以上の43集落で構成される短縮リストは、4県の防災担当部局が一週間の業務サイクルで扱える規模を意識して設計している。

第二の成果物は、リストの各行の裏付けとなる集落単位の判断カードである。カードには、孤立リスク・スコア(0〜1)、階層、一行で記述される推奨アクション(斜面・道路変状のドローン確認から、道路啓開部隊の出動、構造点検、長期的な経路冗長化計画まで)、単一経路依存性の要約(事実上一本の道路に依存しているか、グラフ探索で発見された代替経路の数)、当該集落の主要ルート上の最大ボトルネック(OSMのway IDまたは橋梁ID)、および根拠連鎖へのポインタが格納されている。スコアの各項は、それを生み出したOSM道路グラフのクエリ、国土地理院の地形タイル、e-Stat国勢調査セル、医療施設リストの該当行まで辿れる。上位30集落の完全なリスト、県別の上位10集落、3集落分の衛星画像チップの読み解き、首位集落のドリルダウン、および一頁の手法サマリを収めた完全版PDFを、英日両言語で公開している。

本ノートの残りでは、これらの出力を生み出したパイプライン、信頼性の依拠としたアンカー、ならびに副次成果として衛星画像から復元し公開地図のオーバーレイとして提供している13本のアクセス経路について述べる。


問題の構造

南海トラフを念頭に置く防災担当者は、発災後ではなく発災前に、次の4つの問いに答えなければならない。

  1. 構造的に孤立リスクを抱える小規模な集落はどこか。
  2. 各集落の生命線は、具体的にどの道路あるいは橋梁を通っているか。
  3. 限られた予算を、ドローン調査、衛星電話の配備、物資の事前配置、BCP改定にどの優先度で配分すべきか。
  4. 公開されている道路データセットがどこで不完全であり、その結果として公式の図が当該集落の孤立度を過小に映しているのはどこか。

これらの問いに答えるための入力は、複数の権威ある情報源にまたがって存在する。OSM道路グラフは道路網のトポロジーを担い、どのエッジが落ちると下流のどの集落が孤立するかをグラフ・カット解析として扱える。内閣府は過去の孤立事例のリストを保持し、南海トラフ巨大地震を対象とした2025年の浸水想定を公開している。国土交通省の国土数値情報には、急傾斜地崩壊危険区域のポリゴンと、手術対応可否を含む医療施設台帳が含まれる。国土地理院は5mDEMと、集落単位の視覚的解析を可能にする正射タイルを公開している。e-Statの令和2年国勢調査からは町丁字別の高齢化率が得られる。

しかしこれらは、単独では集落をランク付けしない。仕事は統合の側にある。すなわち、道路グラフ、ハザードポリゴン、標高ラスタ、人口動態データ、そして地形の視覚的読み取りを、同一の集落単位の判断フレームに揃えて並べることである。

本研究の成果物

公開された成果物は具体的で、点数は多くない。

  • 紀伊・高知における167集落のリスクランキング。階層分布は「高」2、「中」41、「低」121、「最低」3。「中」階層以上の43集落が実務上のレビュー対象となる短縮リストである。
  • 集落単位の判断カード。スコア、階層、推奨アクション、単一経路依存性の要約、最大ボトルネック、根拠連鎖へのポインタを含む。
  • 2024年能登半島地震を対象とした遡及分析。被災地内の小集落35のうち、実際に孤立した26集落について同じパイプラインを適用したところ、孤立リスクの上位26位以内に22集落を捕捉した。実際に孤立した集落のリストは内閣府および各被災県により公開されており、本遡及分析は第三者による検証が可能である。
  • 復元された13本のアクセス経路(紀伊6、高知7)を地図オーバーレイとして提供する。林道、農道、私設橋といったOSM道路データセットには含まれない小規模なアクセス経路であり、接続される集落の運用上の見え方を変えるものである。
  • クリックで辿れる根拠UI。スコアの各項は、それを生んだ生のクエリまで遡れる。
  • PDFレポートを英語版・日本語版で提供。

PDFには、上位30集落の完全リスト、県別の上位10集落、3集落分の衛星画像チップの五次元読み取り、首位集落のドリルダウン、信号別の重み表と90%不確実性区間を含む一頁の手法サマリ、および信頼性検証の図表を収録している。

アプローチ:Contextual Agentic Vision を集落単位の孤立判定に適用する

本パイプラインは contextual agentic vision の分析として構築されている。専門特化型のスカウトが公開画像を読み、コンテキストパックが公開空間データを保持し、決定論的なオーケストレータがスカウト出力を明示的な重み付き和スコアにまとめ、すべてのスコアが監査トレースで裏付けられている。各構成要素は短い段落で記述できる程度の単位に保たれている。

専門特化型スカウト。 視覚言語モデル(VLM)が各集落の国土地理院正射画像チップを読み、危険集落と低リスク集落を分ける問いに特化した5つのプロンプトを実行する。すなわち、沿岸暴露、一本道の可視性、地形の閉塞度、インフラ密度の低さ、および総合的な孤立度の読み取りである。各プロンプトは [0, 1] のスコアと一行の所見を返す。5項目を平均して衛星画像信号とする。集落ごとの五次元読み取りの全文は画像チップとともに保管しており、PDF読者にはトポロジー駆動型の高階層山間集落、津波駆動型の沿岸町、低リスクの対照集落の3例について、チップと読み取り結果を並べて示している。

コンテキストパック。 7つの公開ソースが信号別の生値を供給する。OSM道路グラフ(橋梁・トンネルを含む)、国土地理院5mDEM、国土交通省の急傾斜地崩壊危険区域ポリゴン、e-Stat令和2年国勢調査、国土交通省の医療施設台帳、内閣府の過去災害アーカイブ、および内部計算による津波暴露の指標(集落標高とOpenStreetMap海岸線までの距離から算出)である。すべての信号は、いずれかのソースに対する定量的な読み取りの結果であり、意見ではない。

推論オーケストレータ。 決定論的なPythonパイプラインが、検索関数を介してスカウト出力を集約し、地域道路サブグラフ上でグラフ・カット解析を実行して各集落の主要経路のうち最も脆弱なエッジとその脱落結果を特定し、すべての信号を明示的な重み付き和で最終スコアに統合する。入力と出力のあいだにブラックボックス予測器は介在しない。スコアの式は公開され、重みも公開され、式は可逆である。すなわち、新しい道路が開通すれば、病院が閉鎖されれば、洪水想定区域のポリゴンが更新されれば、当該集落のスコアは予測可能な向きに動く。

根拠の連鎖。 各集落の判断カードは、(関数, 入力, 出力, タイムスタンプ) の四つ組を追記型JSONLでトレースとして保持する。エンド・ツー・エンドで再生可能であり、機械学習の専門性がなくとも読める。この監査トレースの存在こそが、本研究における出力の単位を「ラベル」ではなく「根拠の連鎖が付随した判断カード」へと変えている。

重みの由来。 信号別の重みは、2024年能登半島地震の遡及分析を対象としたベイズ推定(能登フィッティングの重み)によって導いた。南海トラフの予測においては、シナリオの津波駆動の性質を反映させるために重みセットを調整している。内閣府の2025年浸水想定は南海トラフの被害推計の中心に津波浸水を据えており、したがって予測用の重みセットでは津波暴露の重みを引き上げ、衛星画像信号の重みは経験的な能登フィットに対して相対的に引き下げた。両方の重みセットはPDFに記載しており、信号別の事後分布区間を確認したい読者はそちらを参照されたい。

南海トラフ域のランキング

167集落の集合は、3つのフィルタの交わりとして定義した。(a) 構造的に孤立リスクを語るに足る規模(典型的に数千人未満)、(b) 内閣府の南海トラフ巨大地震シナリオの想定域内、(c) 重心、道路コンテキスト、人口統計ブロック、医療施設台帳までを公開データで一気通貫に解決可能であること。

スコアの構成は、PDFで採用している三層の信号グルーピングに従う。

  • メカニズム中核の信号(スコアの約70%)。 津波暴露(重み0.21)、単一経路依存性(0.18)、土砂災害警戒区域とのオーバーラップ(0.17)、地域道路サブグラフ上のグラフ・カットの厳しさ(0.15)。津波暴露が最大の重みを持つのは、内閣府の2025年想定が、和歌山南部および高知南部の太平洋岸において津波浸水を支配的な孤立駆動要因と位置付けているためである。単一経路依存性は、暴露された集落と道路網の残りとを一本の幹線が結ぶ沿岸ライフラインの脆弱性を捕捉する。土砂災害ハザードとカットの厳しさは、同じ構造をトポロジーの側から見たものに相当する。
  • コンテキスト信号(約20%、根拠のクロスチェックに用いる)。 衛星画像信号(0.11)、地形傾斜(0.07)、過去災害の発生件数(0.05)。衛星画像信号は南海トラフの予測においては最大ではなく中程度の重みに留めている。地震時に有効な視覚的手がかりが津波の事象へ転移する保証がないためであり、ここでは衛星画像信号はスコア駆動というより信頼性を補強する位置付けである。
  • 背景信号(説明用の小さな重み)。 高齢者人口割合(0.04)、最寄りの手術対応可能病院までの距離(0.02)。これらはランクを主に動かす要因ではないが、カードを読む担当者に対し、脆弱層の様相と医療搬送距離を併せて提示するために含めている。

地域道路サブグラフ上のボトルネック・ランキングは、ランクそのものに次いで実務上重要な列である。各集落について、それを地域ハブ網から切り離す結果となるOSM way ID(または橋梁ID)と、同一の臨界エッジを共有する集落数を併記している。167枚のカードを横断して20回挙げられる隘路は、単独投資としての道路冗長化や橋梁補強を正当化しうる対策対象である。

リストの最上位は、現地で確認できる程度の具体性を備えている。

集落 所在県 スコア 階層 人口 65歳以上
煙硝蔵 高知 0.65 234 65%
御殿内 高知 0.63 405 59%
みなべ町 和歌山 0.56 495 25%
先新浜 高知 0.55 278 39%
花組 高知 0.55 388 35%

煙硝蔵と御殿内は狭い谷筋に位置する山間集落であり、単一経路依存性と土砂災害ハザードがスコアを支配している。みなべ町は地域内の道路網が十分に接続されているものの、津波暴露信号がランクを押し上げた沿岸町である。PDFには、病院距離およびボトルネック・エッジの列を含む完全な上位30、ならびに県別の上位10を収録しており、自分の管轄のみを必要とする担当者にも対応できる。

手法の信頼性:2024年能登遡及分析

未発生の事象に対する予測器は、それ自身に対しては検証できない。最も強い信頼性チェックとして利用可能なのは、答えが公開されている直近の事象に対して同じパイプラインを適用し、予測すべき答えを再現できるかを問うことである。

2024年能登半島地震がその検証を提供する。内閣府および被災県は、実際に孤立した集落のリストを公開している。被災地内の小集落35のうち、26集落がそのリストに該当する。

この集落群に対して、本パイプラインの孤立リスク・スコアによる上位26位ランキングは、実際に孤立した26集落のうち22集落を再現した。順位を外した4集落のうち3集落は、一つ下の階層に位置しており、分布の裾の奥深くに沈んでいるわけではない。

左:2024年能登遡及分析のROC曲線。曲線下面積は0.91。右:スコア分布パネル。実際に孤立した26集落(赤)が予測スコア軸上で右側に集まり、孤立しなかった9集落(灰)が左側に集まる。

ただしこの数値は イン・サンプル である。能登遡及分析で用いた重みは、同じ能登の集落群に対してフィッティングされており、ゆえに本遡及分析はホールドアウト検証ではなく信頼性チェックという位置付けで提示している。この位置付けの違いは無視できない。なぜなら、南海トラフの予測は能登フィッティングの重みを南海データに直接適用したものではなく、シナリオの津波駆動の性質を反映した南海メカニズム事前分布の重みセットを用いているからである。能登遡及分析が読者に示しているのは、信号の選定、グラフ・カット解析、衛星画像プロンプト、および監査トレース付きの集約が、実在する日本の地震に対して一つのまとまりとして機能するという事実である。南海トラフ版は、その実証された仕組みを、内閣府の2025年メカニズム想定が要求する重みセットの下で運用したものに当たる。

地図に載っていないアクセス経路を復元する

集落単位の根拠取得の過程で、関連するが別の知見が得られた。対象範囲の小集落の多くは、OpenStreetMapに含まれないアクセス経路に運用上依存している。林道、農道、私設橋といった経路は、公開道路データセットに含まれないのが通例である。各機関の台帳にまたがって存在し、OSM互換の形で単一の主体が維持しているわけではないためである。孤立対策の観点では、この欠落は実務上の影響を伴う。OSM上では一本道に見える集落が、実際には尾根を越えて隣の谷へ通じる林道を有している例は現実に存在する。

この種の経路は、別の経路復元パスによって国土地理院の正射画像から生成する。パイプラインは集落周辺のチップを取り、経路検出プロンプトによる視覚言語モデルの推論を行い、検出された区間についてGeoJSONを出力する。端点は可能なかぎり最寄りOSMノードへスナップする。南海トラフ対象の167集落の範囲で、本パスは 13区間を復元した(紀伊6、高知7)。各区間は集落判断UIにオーバーレイとして表示できる。検証済み区間をOpenStreetMapに還流することは、本研究の自然な次の手順となる。

実装面についても触れておく。パイプラインは保留中の視覚モデル要求をディスク上にJSONファイルとして書き出し、同じディレクトリに書き戻された応答を読み込む。これらの要求は、ホスト型API(Anthropic Claude、OpenAI、Google Gemini)、自己ホスト型モデル、あるいは人間レビュアーのいずれによっても処理できる。本レポートでは、経路検出プロンプトに対してClaude Codeが直接ディスクから国土地理院のチップを読み取って応答しており、APIキーなしで復元工程全体を再現できる。

今後

同じパイプライン・パターン(専門特化型スカウト+コンテキストパック+決定論的オーケストレータ+監査トレース)は、重みをアンカーできるラベル付きの遡及事象が利用可能な、他の集落単位の意思決定問題にも適用できる。洪水駆動の孤立、土砂災害感受性、施設レジリエンスの解析は、自然な次の応用先である。

事後の再ランキング・モードは、同じエンジン上にすでに実装してある。国土交通省の道路復旧報告の到着に応じて同じ集落判断カードを更新し、発災後6時間のスナップショットから「全復旧」までの時間軸を辿れるようにした。想定する利用者は別ツールの利用者ではなく、復旧運用のあいだ短縮リストを使う防災担当者そのものである。

本研究で取り上げた4県を中心に、集落カードのストリームを防災BCPサイクルに統合する自治体パイロットを受け付けている。並行して、サンプリングしたサブセットに対し、1〜2名の土木分野レビュアーによる独立した妥当性評価を進めている。イン・サンプルの能登遡及分析を、外部の妥当性スコアで補強することが狙いである。

集落単位の災害ランキングをどう位置付けるか

本研究から取り出すに値する構造的な主張は、出力の単位についてのものである。都道府県の防災担当部局が必要としているのは、次の地震の深刻度を一つの数値で示すことではない。担当部局が対応可能な粒度の集落の順序付きリストと、その各行に付随する根拠の連鎖、そして既存の週次レビュー・サイクルに収まる形式である。167集落の南海トラフランキングと、2024年能登遡及分析における26集落中22集落の再現は、そのような単位が公開データから生成でき、かつ、争点となるいかなるスコアであってもそれを生んだOSMクエリまで監査トレースを辿れるという、一つの実例である。より興味深い未解決の問いは、復旧優先順位付け、避難計画、インフラ投資といった他の集落単位の意思決定のうち、どれが同じ単位で扱えるか、そしてそれぞれに対してコンテキストパックに加えるべき信号は何か、という側にある。

上位30集落リスト、県別ビュー、3集落分の衛星画像読み解き、首位集落のドリルダウン、信号別の重み表を収録した完全版PDFは、以下より英語版・日本語版でダウンロードできる。


完全版レポートのダウンロード

両版とも、167集落の完全ランキング、2024年能登遡及分析の図、3集落分の国土地理院衛星画像読み解き、首位集落のドリルダウン、信号別の重み表と不確実性区間を収録している。